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すべてのサレ妻へ〜不倫・浮気・裏切りで傷つき怒り狂う感情と付き合っていくということ〜

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うさちよ

こんにちは。育児してたら浮気されてたうさちよです!

まったく笑えない話ですし、私も『過去』と呼べるほど清算できているわけではありませんが、「不倫」「浮気」って本当に私達サレ側の感情とエネルギーを奪って支配しますよね。

先日こんなツイートをみかけました。

そう、私達ってこと『夫』という生き物に関しては、あの高校生名探偵並の洞察力と観察力、そしてちょっとしたカマかけや嘘を見抜き耐え忍ぶ演技から、真実を導き出す特殊能力を発動してしまいがちなんですよね。

そして、『虚言』『嘘』という確信に至ったサレ妻って、ただ悲嘆にくれるときもあれば、誰よりも冷静に『夫』を追い詰めていく力を秘めていたりするんです。

『浮気』『不倫』誰よりも信じていた『夫による裏切り』

それらは、私達は【自己否定】に陥らせます。腹立たしいほど根深く、自尊感情を傷つけ破壊しつくします。

それは、どんなに自分が正しく、そしてこれからも正しい行動しかしていなくても、相手が100%悪くても、逃れられない【自分に原因を探して解決したい】という感情です。

私は普段、こころの病気の方々の生活に寄り添う仕事をしているのですが、その中で心理や感情コントロールについて学び実践する機会が多々あります。

そんなサレ妻としての経験と、本職の知識から、私が伝えたいことをまとめてみました。

サレた側は浮気の被害者なのに、自分を責めずにいられない

私たちは、なにか「悪いこと」が起こると、その原因をどうしても探してしまいます。そして、その思い浮かぶ原因が正しいか正しくないかに関わらず、『原因がわかることで解決したと感じる』ところがあります。

浮気・不倫の被害者である私達「サレ妻」「サレ夫」は、相手を愛するが故、もしくはモラハラやDVにあっていたために自己肯定ができず、相手に正当性があるように洗脳されているために、【原因は自分にあった】と決めることで、解決に導きたいと急いでしまいます。

どんなに『シタが悪い、私は悪くない。だから正当な手段に出ます!』と息巻いている人でも、一度は頭をかすめる感情です。

それは、私達が弱いからではありません。

人間は、『成功』した原因や理由を深く考えることはあまりなく、むしろ「成功の余韻」に浸ります。
挑戦するまでは「うまくいきっこない」「変なやつ」といっていたのに、成功した途端に「君ならやれると思った」「前から特別なところがあると思ってたんだ」と手のひら返しする、そういう生き物です。

しかし、『失敗』には理由や原因を求めます。
ある種本能といってもいいくらいです。そう考えるのが自然の摂理なのでしょう。

不倫も浮気も同じ、私達は「辛い出来事」に理由を求め、原因を探し突き止め、それをやめさせよう・変えようとしてしまうんです。

しかし、不倫も浮気も、通常「常識的で理性のある人間」なら、「やらない」のが当たり前のことであり、そして夫婦関係の中の「裏切り」なので、どうしてもその原因を「夫婦の仲」に探してしまいがちなんです。

たとえシタ側がどんな理由をあげつらえ、あなたを責め立てようとも、「常識的で理性のある人間」でない生き物からの声など、まともに取り合わなくっていいのです。

サレ側は自分を責めなくていい、むしろ称賛するべき

浮気・不倫に関して、私達サレ側が自分自身を責める必要など1ミリもありません。

むしろ、浮気・不倫するような、信頼を平然と裏切って普通の顔をして過ごしている「シタ」の変化に気づくほど相手を見ているということは、それだけ「相手に関心がある・愛情がある」ってことです。

そう、私達は一切、相手を裏切るようなことも傷つけるようなこともしていないし、愛情を持って向き合っています。

そこから逃げ、楽な方にと浅はかな誘惑に自らハマっていく「シタ」に対してさえ、最後まで愛情を持って接していたことは、称賛されるべきことです。

浮気や不倫に対するコントロールし難い怒り・悲しみ、あふれる感情に蓋をすべきなのか

浮気、不倫に気がついたときの、あのいいしれない感情、思い出したくもないですよね。憎しみ、悲しみ、戸惑い、一体私達はどれだけの涙を流し、傷つき、こころをすり減らしてきたのでしょうか。

それでもシタを愛してしまう苦しみがある人もいれば、一生涯関わりたくないほどの嫌悪感に襲われる人もいるでしょう。

絶望の淵に立たされたような、とても自分ではコントロールできないあの感情を、私達は相手にぶつけてはいけないのですか?

なぜ、浮気や不倫をしたと世間に話す行為が『名誉毀損』などという法律で守られるのでしょうか。とても納得できることではありません。

どんな犯罪もそうです。『一目瞭然な証拠』がなければ、被害者は泣き寝入りです。加害側が素直に自白すればいいのに、黙っていれば、証拠がなければ許され、むしろ訴えた側が糾弾されるのです。

私は、浮気がわかってからも、小さな子供が夫(うさ太郎)へ笑顔を向けることがしばらく許せませんでした。

子供は悪くないのに、突然黒い感情に支配されるのです。

『その男は、お前の父親はとんでもなく悪いやつだ。あなたのことも裏切って、家族を蔑ろにして、放置して、何食わぬ顔でそこにいるんだ。そんなやつに天使のような無垢な笑顔をむけるなんて許せない』

と。汚い手で私のかわいい子供に触らないでとも思いました。

「ママじゃなくてパパ!」

と子供に言われたときは、死にたくなるほど辛くて悲しかったです。

だってもう、私に残っているのは子供しかいないと思っていたから。

そして、そう考える一方で、私の考えはとても悪質で、良くないものに支配されているとも感じていました。

でも、この環状に蓋をしてはいけないのでは、と思うのです。そして、受け止める責任は、シタ側にあるはずです。しかし、誰もが素直に自分の否を認めるとは限りません。そして、再構築を考えるとこんなことをしてもいいのか、とも考えてしまい、また声に出せなくなるのです。

だからといって、私達は「自己否定」をしたまま終わってはいけないと思うのです。

幸いなことに、現代は「SNS」が発展しており、気軽に自分の気持ちを吐き出すことができます。

Twitterアメブロなどは、特にあたたかく受け入れてくれる人がたくさんいます。もちろん、個人情報を気付かれないように気をつけなくてはいけませんが、見るだけでも息抜きにはもってこいです。

知人には話しづらいデリケードなことだからこそ、自分の居場所・共感者を作っておくことってとても大切だと感じています。

サレ側だからってシタと同じ土俵に立たなくていい。私達が正しく優位であると誇っていい

シタ側は、自分自身の罪が明らかにされたときにする行動パターンが多様化しています。

開き直るもの、サレ側を責めるものもいれば、あっけなく認めて引く人、動揺し嘘を付く人、前から離婚したかったんだと正当性のひとかけらもない主張を通そうとするもの、いろいろです。

でも、たとえどんな『シタ』でも、私達は同じ土俵に立たなくていいんです。

だって彼らは、どんな事情があるにせよ『常識的で理性のある人間』ではないし、そこにどんな理由があるにしろ夫婦関係にヒビを入れてしまいそうなことだったのなら、きちんと『相手に向き合い相談する』姿勢が必要だったはずなんです。

それは、誠実な人でも優しい人でもなんでもありません。

私達は結婚するときに相手が『大人』の『異性』で『婚姻に関する最低限大切な事柄を守れる人間』だと思っていたはずです。

子供ではありません。自分がしでかしたことには、それ相応の責任が伴い、たとえどんな原因や理由があったにせよ「最初に守るべき最低限の事柄」があることを知っているんです。知っていなくてはいけないんです。

シタはあなたをあらゆる言葉や私達の心が痛むような『声』を使って、同じ土俵に引っ張り込もうとしてきます。

でも、そこへつられなくていいんです。

つられそうになったら、一緒に戦います。気持ちだけでも私が、一緒に引っ張られないように踏ん張ります。

シタとの結婚生活も何もかも、否定したいなら否定してもいい。でも、あなたはとても大切で、正しく、誇れる人間だって言うことを忘れないでください。

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